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院長コラム 2020年1月

このクリニックの氏神様は。。。?

なかなか沢山の神社がある中で、氏神様の区域がどこで分かれるのかを厳密に言うのは難しい様です。

私の実家の氏神様が真亀山神社の「おおやまつみのかみ」様である事は間違いないと思いますが、クリニックの場所の氏神様は違う様です。

開院当初は余り気にしていなかったのですが、毎年お祭りの時期になると、「吉備津神社」の関係の方が寄附の依頼に来られていましたので、地域の認識としての氏神様は「吉備津神社」なのだと判りました。




「吉備津神社」の本社は岡山市北区吉備津にあり、ご祭神は大吉備津彦の尊(おおきびつひこのみこと)様です。

大吉備津彦の尊は第7代孝霊天皇の息子で、第10代崇神天皇の命により、吉備に派遣された将軍です。弟、稚武彦命(若日子建吉備津日子命)と共に、古事記では「言向け和す(=平定する)」と記されています。

吉備の地で、「温羅」という鬼を退治する物語「温羅伝説」が、桃太郎のモデルとなったと言われています。




クリニックの氏神様である「吉備津神社」の「境内由緒書き」によりますと、 「祭神 吉備津彦の尊・吉備津姫の尊  真金吹く 吉備の中山 ・・・ ―中略― 当吉備津神社は、吉備津屋某氏備中より来たり住むようになり、毎年正月備中吉備津神社に参詣するを例とするも歳老いたる身をもって、本社吉備津神社のご神体を懇請し当地区に安置した。 ―後略―」 とあります様に、備中より移り住んだ吉備津屋某氏が年を取って、なかなか参拝する事が出来なくなったので、本社のご神体を頂いて安置したという事の様です。


岡山の吉備津神社から殆どはなれていない場所に「吉備津彦神社」があります。

山の向こうとこっちみたいな位置関係で、車でもそれ程時間のかからない場所にあります。
勿論、御祭神は「大吉備津彦の尊」です。

なぜ同じ御祭神ので名前の違う神社が?という疑問が湧きますが、実は福山にも「吉備津神社」がある様です。


岡山県は元々「吉備」という国名であり、その吉備の国の神社として「吉備津神社」が存在したようです。

しかし、その後、吉備の国は東側から「前つ国」「中つ国」「後つ国」と3つに分けられ、それがやがて「備前」「備中」「備後」と呼ばれるようになりました。

元々ある吉備津神社は備中国にそして、備前国の吉備津彦神社、更に備後国の吉備津神社が、福山市に分霊されたという経緯があるとの事です。

吉備津神社



吉備津彦神社

昨年の夏ころより、クリニックの氏神様である「吉備津神社」に出勤前に行って居ますが、行き始めた頃の話です。

神社の階段をゆっくりと上がっていくと、右に手水舎があるのですが、そこで手を洗っていると、突然手水舎の横から蛇が飛び出してきて私の足の間を通り過ぎていき、藪の中に消えていきました。

また別の日には、足元に空いていた穴から突然蛙が飛び出してきてビックリした事もありました。

何か。。。からかわれていたのかも知れません。。。笑


私がこの地に開院した理由 その3 信じるか信じないかはあなた次第です。。。


私の母は結婚する前(当然私を生む前)に大三島に住んでいた時期があります。
遠い親戚の家に居候していたそうで、そこで算盤を教えていた様です。



その家の前にあるのが、大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)で、当時は神社の境内でその親戚の子供たちと一緒に遊んでいたそうです。
母がとても思い入れのある神社として昔から「また行きたい」と言ってきた神社です。

因みに大山祇神社は『日本総鎮守』と称され、御祭神は、伊勢神宮の御祭神である、天照大神(あまてらすおおみかみ)様の兄神、大山祇神(おおやまづみのかみ)様です。

昨年夏に、母が今治に住む親戚(先に話した親戚の方です)に会いに行きたいので連れて行ってくれと言われましたので、7月の休みの日に連れていくことにしました。

ところが、前日になって、「どうも骨折で入院しているらしいんだけど、連絡が付かないので、入院している病院が判らないので今回は行くのをやめよう。その代わり大山祇神社へ連れて行って。」と言われましたので、連れていく事になりました。



当日も何度かその親戚の方の娘様に連絡を試みたのですが、連絡が付かず、結局連絡が来たのは、帰る途中の高速道路の上であったので、結局親戚の方の訪問は出来ませんでした。


母を連れて行った時は、母は膝が悪い事もあり、また雨も降っていたので、思う様に境内を見て回る事も出来なかったので、8月になってもう一度一人で行ってみる事にしました。

境内をゆっくり歩いて、樹齢2700年の大楠の横を通って、拝殿まで歩いていくのですが、あの澄み切った雰囲気は、今まで参拝させて頂いた神社とは違う雰囲気がある様に思いました。



そして拝殿に到着し、住所や名前を言った後にお願いを言おうとしたのですが、不思議な事が起こりました。

現在住んでいる住所が途中までしか言えないのです。
丁目以降の番地がどうしても出てきません。
いくら考えても出てこないのです。

どうしても出てこないので、取りあえず名前を言って、お願いを言って終わったのですが、当然、その後は当たり前の様に番地が出てきました。
ただ、しばらくは自宅の番地とクリニックの番地が混同するような事が続いていました。
これは、境内の中のみで起こった事で、それより前にもその後にも一度もありません。

帰りの車の中でも、あれは何だったんだろう。。。と考えていたのですが、「そんな事は言わなくても知ってるよ。」と言われた様な気がしてきました。


後日、自分の参拝すべき神社を調べて頂けるサイトの管理者の方と、これまでにやり取りしていたメールを見直してみて、ビックリしました。

「その2」で述べた、「真亀山神社」の御祭神が「おおやまずみのかみ」様だったのです。


  1. 母が結婚前に住んでいて、そこの子供たちと遊んでいた「大山祇神社」の御祭神
  2. 私が小学校6年生から大学入学まで、住んでいた土地の氏神様(当然母は今も住んでいる)
  3. 特に探した訳でもなく、導かれる様に開業したクリニックの多くの患者様の氏神様

この事に気が付いた時に、私はお釈迦様の手の上から出る事のできなかった孫悟空を思い出しました。

母は私が生まれる前から「おおやまずみのかみ」様とご縁を持っており、私を生んだ時には別の場所に住んでいましたが、結局は「おおやまずみのかみ」様を氏神様とする土地に引っ越してきました。

そして私は、真亀山神社の近くの高校で最終的に医者になると決めて、徳島には行きましたが、結局広島に帰ってきて、ここに開業をしている事になります。

私の人生はまだゴールではないのですが、これまでの人生で何かに導かれている感覚はずっと持っていましたので、私自身の中では「そうだったのか」と納得がいきました。

信じるか、信じないかは、あなた次第です。。。笑



実際ご縁のある神社は他にもありますので、また別のブログに書きたいと思って居ます。

私がこの地に開院した理由 その2 信じるか信じないかはあなた次第です。。。

私が、医者になりたいと思ったのは、小学校の頃に学研のひみつシリーズの「からだのひみつ」を読んだのがきっかけです。
とても興味を持って、豆知識に書かれている事まで覚えた記憶があります。


その後、手塚治虫さんの「ブラックジャック」を読んで、外科医になりたいと思い始めたので、小学校の卒業アルバムには将来の夢は「外科医」と書いています。



ではあるのですが、中学校、高等学校と格別進学校でもない近くの学校へ通学しました。

中学校でのクラス対抗の合唱大会の時に同級生がギターで弾いた「22歳の別れ」がとてもカッコよかったので、高校ではギター部に入部してギターを練習したくなり、高校は広島県立高陽高校に行くことにしました。

今考えると、「22歳の別れ」はそれほど難しい曲ではないのですが、この曲を聴いてギターが弾きたくなりたいが為に、高陽高校に行くことになったという事も意味があったのかもしれないと思えてきます。

高陽高校は恵下山遺跡に近接し、学校裏には実家も含めて氏神様である「真亀山神社」もあります。

自宅からは歩いても10分程度の距離ですので、じっくりギターの練習をするには良いかと思い選んだという経緯がありました。




高校生活でギターばかり弾いていたので、卒業後はギターの道を進みたいと考えていたのですが、2年生最後の3者懇談の際に、「残り1年間を勉強もせずに過ごすのは良くない」と言われた事もあり、「じゃあ、元から夢でもあったので医学部に行きます」と答えました。

結果的には、現役で合格は出来ず、1年間浪人する事にはなりましたが、何とか徳島大学医学部に合格する事が出来ました。

小学生の頃から医者になるという夢を持っていた事もあり、「自分は医者になる為に生まれてきた」という思いがずっとあったのですが、その後これまでの人生も、岐路に来ると自分の進む道が目の前に現れてくるという事が何度かあり、何かに導かれている様な感覚を持ち続けてきました。

なぜこの様な話をするのか、開院と何の関係があるのかはわからないかとは思いますが、今後の話に欠かせないコンテンツが含まれていますので、最後までお読みいただければと思います。 

私がこの地に開院した理由 その1  信じるか信じないかはあなた次第です。。。


私が開院している落合という場所は、「高陽ニュータウン」と呼ばれている、住宅街の中にあります。

このニュータウンには住所変更前には高陽町の真亀、亀崎、倉掛、金平と呼ばれていた地域が含まれており、その中の真亀には小学校6年生から大学入学まで住んでいました。
そして、現在も両親が住んでいます。



私は、開院の2年半くらい前までは全く開業をするつもりはありませんでした。
それは、日本脳神経外科学会専門医である上に、日本脳血管内治療学会の専門医でもあるからです。
開業してしまえば、血管内治療は殆どできなくなりますので、専門医の継続は出来なくなるからです。

だから、将来的に開業する事はあっても、今するつもりはなく、開業の地を探してもいませんでした。
ただ、開業するとすれば実家の近くかな。。。とは漫然と思ってはいました。


以前働いていた病院へは、就業時間終了後に製薬会社のMRさんたちが面会の為に訪れていました。

その中の、B社のMRさんがある日、「ある開業医の先生がクリニックビルを建てるにあたり、脳神経外科に入って貰いたがっている」と言ってきました。
場所は高陽か可部という話でした。

しかし、先にも述べたように現時点で開業する気持ちはありませんでしたから、断りました。





そうすると、後日そのMRさんの上司の方が、同じ話を持ってきたのです。

ただ、この上司の娘様と私の娘が同じ小学校に行っていて、本人同士、双方の妻同士がとても仲が良いという関係上、無下に断る事が出来ず、取り敢えずその開業医の先生に会ってみる事になりました。

そして、その開業医の先生と会って、クリニックビル建築の場所を尋ねたところ、この慣れ親しんだ落合の地であったのです。

私としては、この場所で他の脳神経外科医が開業をするという事は受け入れられない気分にさせられてしまいました。
恐らく、この場所が1kmどこかにズレて、高陽ニュータウンと呼ばれる地域から外れていたらこの話は受けていなかったと思います。


つまり、
1. もともと開業をしようと考えていなかった。
2. クリニックビルを建てる先生に会わないといけない様な状況になった。
3. クリニックビルの場所がとても断りにくい場所であった。

つまり、何かに導かれるかの様に、この地に開院する事になったという感覚を常に持っています。


勿論これで終わりではありません。
なぜなら「その1」ですから。

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